活動情報

  • 2012年08月15日

    『終戦記念の日にあたって』

    本日、67回目の「終戦記念日」を迎えました。
    武道館で行われた全国戦没者追悼式に出席し、すべての戦争被害者に対し黙とうを捧げました。日本はこの戦争の反省から、二度と武力行使をしないと誓い、憲法にもそれを謳いました。

    しかし、世界では今でもテロが頻発し、最近では、ジャスミン革命に端を発するシリアの内戦では二万人を超える死者が出ていると言われ、その結果大勢の難民が生まれ、常に無辜の民が犠牲になっています。
    また、核開発疑惑をめぐり緊張状態が続いているイラン問題においても、国際的な協議がなかなか進展を見せない中、先日、米大統領選挙の共和党候補となるロムニー前マサチューセッツ州知事が、訪問先のイスラエルで、イランの核兵器を阻止するために「あらゆる措置」が講じられる必要があると敢えて強調しました。そして、外交的・経済的な問題解決を望むとしながらも、「最終的にはいかなる選択肢も排除されるべきではない」と述べて、イランに対する武力行使の可能性に言及しました。
    大統領選挙が近づくと、ナショナリズムを煽って国民の関心を引こうと、どうしても強硬な姿勢を示したがり、発言がエスカレートしがちになります。しかし、そのことが相手を刺激し、冷静な協議の場を壊し、結果として信頼醸成を大きく損ないかねません。それは平和を望む国際社会にとって何の利益ももたらしません。

    我が国は非核兵器国としての道を歩むことが唯一の戦争被爆国としての道義的責任であると考え、核軍縮を進め、核不拡散を強化し、核廃絶の先頭に立ってきました。私自身、総理大臣を経験した者として、今後とも世界に向かって同様に発信していく責務を負っています。
    4月にはイランを訪問し、アフマディネジャド大統領に対し、「日本はこの原発事故により、ある意味二度目の被爆を受けた国として、核兵器のない世界を実現する責務と、原発を有する国の責務を感じる。最高指導者ハメネイ氏が核兵器を開発しないと宣言されているのは結構なことだが、大統領として政治的に加担してほしい。日本は核兵器を持たないと宣言したが、国際社会の信頼を得たのは、IAEAに積極的に参加した結果である。イランも同様にIAEAに協力して、欧米諸国との間で信頼醸成を図ってほしい」と申し上げました。
    信頼醸成こそ平和構築の基本であり、それは友愛精神そのものです。

    ジョン・F・ケネディ元米国大統領は、1963年、アメリカン大学の卒業式で、「平和の戦略」と題し、こう述べています。
    『(前略)あまりにも多くの人々が、平和は不可能である、非現実的であると考えているが、これは危険な、敗北主義的な考えである。それは、戦争は不可避である、人類は破滅の運命にある、我々は支配することのできない力によって支配されている、という結論へ導く。
    こうした考えを受け入れる必要はない。我々の問題は人間が生んだものである。それゆえ人間はそれを解決することができる。そして、人間は自分が望むだけ大きくなれる。人間の運命に関するどんな問題も、人間の力の範囲外のものではない。人間の理性と精神は、しばしば一見解決不可能な問題を解決してきた。我々人間は、この問題を解決することができると信じている。(中略)
    こうした平和が存在しても、家族や国家の内部におけると同じく、依然として争いや、理解の対立があるであろう。世界の平和は、地域社会の平和と同じく、各人が隣人を愛することを要求せず、ただ単に彼らが互いに寛容の心をもって共存し、その紛争を公正で、平和的な解決方法に委ねることを要求する。そして、歴史は、諸国間の敵対関係は、個人の場合同様、永久に続くものではないことを教えている。我々の好き嫌いがどんなに固定したものに見えても、時代と事態の潮流は、しばしば国家間、隣人間の関係に驚くべき変化をもたらす。
    だからたゆまず努力しよう。平和は必ずしも実現不可能ではなく、戦争も必ずしも不可避ではない。目標をもっとはっきりさせることによって、それをもっと処理しやすい、身近なもののように思わせることによって、我々は、すべての人がそれを見、それから希望を得、それに向かって一切の障害を押しのけて進むのを助けることができる。』

     ベトナム戦争で苦悩したケネディ大統領も、平和を強く求めていたことが良くわかります。畢竟、平和を破壊するのも構築するのも、人間なのです。

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